本日のブログ用 水着と間違えてしまいそうな小さな布をまとう女達
 上半身ハダカの男達
 テーブルをかこんでビールを片手に楽しそうに話し合っている
 日向ぼっこの自由を楽しみながら一人本を読む男もいる

 そんな人達をコックピットにのせたヨットが岸壁にずらりと並んでいる

 自由な時間がゆっくりと流れてゆく人生の生き方とはこんなものなのだよ と云っているようにも見えてくる眺めだ
 
 そして気が向けば 彼 彼女らは広い海に出てゆくのだろう そこはまた 道などというものも無い 広々とした どこへ行くのも自分の意志のままの 自由の 視線は水平線の彼方にのびてゆく解放感あふれる世界なのだ

 

シマシマのポロシャツに真白いパンツ姿できめるカッコ好いセーラーなどにはほど遠い姿の人達をのせたヨット達
 年代を感じさせる船体
 使い古して黒ずんでしまったセールのたば


 だがよく見ると それらはいずれもヨット大好き人間達によってセーリングするための十分な手入れがなされていることをうかがわせる 個性あるヨット達だ 一杯(船を数える語)として同じ様相のヨットはいない
 そんなヨットがずらりと並んでいるのだ

 ヨット大好き人間は また いつかは強大な自然の猛威に立向かわなければならない時がやってくることを知っている


 ヨットの上本日ブログ用2ではすべて自分自身の力で困難を解決するほかはない
大枚のお札をちらつかせても それはただの紙切れにしかすぎない
 海の上では誰も助けにはきてくれないのだ


何物にもかえがたい 自由である解放感 を得るためには 日頃の備えの努力をおこたらず計画性という知恵をとぎすまし それを使う肉体の力を維持しておかなければならないのである

 


 ノルウェー第一の 歴史ある商業港ベルゲンをかつて陸路おとずれた時 こんな風景に出会って自らのヨット大好きなるものの正体は まさにこの 自由である解放感 なのだということを改めて確認したのだった

 

 


 
壊れそうな古い桟橋にもやう 年代を感じさせるがきちんと手入れがされている私のヨット すぐ目の前は ヨットクラブのクラブハウスである

豪華さとは正反対の建築現場事務所みたいな建物だが それでも日本のヨット発祥の地に建つ私達のクラブハウスだ 
 狭いけれども目にしみるような緑の芝生
 太陽に眩しい真白いイス(プラスチック製だが)にすわってのんびりビールを飲む 私 


 まさにベルゲンのヨット大好き人間達と同じだ


ここでは 私は いつも ほころびの目立つ洗いさらしの白いジーパンに 袖口もぼろぼろになってしまった木綿の長袖シャツ それにやぶれ目も少し見えてきたデッキシューズ という姿である

私にとってはとても大切なこの自由の時間を過ごす時に 何百回もの洗濯をへたこの装いは自分の皮膚のように体になじんでくれる

着ているものの存在すらも感じないほどの自由になっている解放された感覚を ヨットと過ごす時間では無意識に自分自身が求めているのだろう

 



住宅の設計とは この 身につけている存在すらも感じないような衣類と同じような感覚の住居空間を 住まい手のためにつくることなのだ


住宅は そこに住む人にとっては 自分の巣 である

巣の存在を意識しないような巣 そこに居ることがあまりに当たり前の感覚になり それが存在しているという意識すら無くなるほどの 住み良い住宅 の中では 時間の流れを忘れてしまうような 自由である解放感 に身をゆだねることができる


そして その 住めば住むほど 住み良さのためにその虜になるような住宅 とは 建築技術の裏付け プロとしての建築家の感性をもって形造る住宅の美しさ をあわせ持つ住宅でもあるはずだ


そして 住宅建築家は 住宅の住み良さ というものが 住まい手の 生き様の違い ライフスタイルの違い 感性の違い によって それぞれ異なるものであることにも思いを致さなければならない

 

住宅建築家は 住まい手の それぞれに異なる住まいに対する想い を十分にそして謙虚に受けとめてその住まい手のための 住み良い住宅 を設計しなければならないのだ

住宅が その住まい手の 生き様 ライフスタイル 感性 により すべて異なる姿となり ひとつとして同じものが無いのは当然のことなのである

随筆 木村俊介のヨット遊び を御覧下さい




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