私が設計した住宅Yさん宅に 別の建主Oさん夫人+3人の幼児のお孫ちゃん+そのママ が お茶に呼ばれることになった
そのいきさつは 10月16日投稿 のブログに紹介しているが 本日がそのお茶会の日となり 私も同席させていただくことになった
Yさんも Oさんも そしてOさんの御子息一家も いずれも 私の設計によるそれぞれの住宅に住まわれている
そしてこの3棟の住宅が生まれることの発端となった これも御近所にある私の設計になる1棟と合わせて これら4棟の住宅は それぞれが声の届く距離に建っているのだ
YさんとOさんが お近づきになられるのは今回が初めてとのことなので 私にとってはとてもうれしい 今日のこの会 となった
オーディオマニアYさんのタカラモノに違いない高価な機械
興味しんしん 好奇心のかたまりのような2才のYさん2世がその機械をいじるのを とろけそうなニコニコ顔で眺めているパパのYさん
たちまちリビングは4人の幼児たちの広いゲレンデとなってしまう 今日のYさんの住まい
そして その住まいのあるじ が くつろいで読書でもするのにふさわしい 穏やかなたたずまいのOさんの住まい も すぐそこにある
この2棟の住宅は その形こそまったく異なるとはいえ 同じ建築家の感性に包まれているはずなのだが 幼児が主役のYさんの 住まい と 熟年の夫妻が主役のOさんの 住まい とでは やはり というか 当然なのだろうが まったく異なる雰囲気が醸し出されている
それぞれの生活 そして その主役である 人 の存在そのものが あたりまえのことだが まったく異なるところからこの違いは生じているのだろう
やはり 住まいをつくるのはそこに住む 人 であり その 器(うつわ) である 住宅 を設計する建築家は その住まい手のライフススタイルにふさわしい 器 をつくらなければ 住まい手にとって 住みよい住宅 にはならないのだ ということに改めて納得する
だがその建築家が設計する 器 は 同時に 建築家の プロとしてのあらゆる感性がにじみ出ているものとなるはずである
建て主のライフスタイル という無形のものを それにふさわしい形あるものに具現化するのは 建築家の プロとしての磨かれた感性と 優れた造形力 そして学習と経験実績に裏打ちされた技術力 である
いずれも一朝一夕には得られないものであり だからこそ建築家にとっては
毎日が終わることのない 努力 であり また 見果てることのない楽しい夢
でもあるのだ
長年の経験と努力の 御褒美 としては
いささかの自信ももてるようになり 自らの職能に常に誇りをもって人生を歩むことができる
ということだろう
今日のお茶会で Oさん夫人が私に云われた言葉
―住めば住むほどその住み良さのためにその虜になってゆくような住まい と木村さんが云われているその通りの我が家ですよ―
に 私の住宅設計を歩んでいる道 は 大きな真っすぐの道なのだ と確信する
Oさんの住宅を御覧下さい
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